2日ぶりに更新です。

 頸椎椎間板を痛めてドクターストップかかったのにどうして再びヨガをするようになったか、ですね。

 気を付けて、気を付けて生活をして、一年後ぐらいには痺れの症状は無くなったものの、まだまだ
無理をしたら再び痛くするぞ!と自戒の念を持ってはいるものの、なんか身体を動かしたくてしょうがない・・・。

 でも、再発したら怖いし…と悶々としつつも、首回りを使わないヨガならやっても良いかな?とか、でも身体って結局全部繋がってるしな、とか、悩んでいるときに思い出したのが 『呼吸法と瞑想』 でした。

 身体を動かす、とは違うけど健康な時から深く掘り下げたいとは思っても、ついつい派手なアサナのクラスに心を奪われがちで。
 故障しなかったら、こっちのほうはずっとおろそかになっていただろう、と今では思います。
 そこで思い出したのが、インドのリシケシにいた時、『睡眠とシャバアサナの違いが分かんない!』 と師に質問しまくっていた私に師匠や周りの外国人の友人が薦めてくれていた、

    ヴィパッサナ瞑想

の事でした。
 知らない方の為に簡単に説明すると、ミャンマーに本拠地を持つ仏陀の教えの瞑想法を伝道する団体ですが、仏陀由来だけど完全に宗教性はゼロ。世界各地に宿泊施設を持った瞑想道場を持ち、完全に参加者の寄付だけで成り立っていて世界中から色々な宗教・国籍の人々が参加可能。10日間、完全沈黙、他の参加者とのアイコンタクトすら禁じられて、朝から晩まで瞑想瞑想、です。食事は完全ベジの、刺激の少ない材料を使ったものが提供されます。
 瞑想の手法は、内観、とにかく自分の感覚を研ぎ澄まし、ひたすら自分の身体の感覚に気付くこと、を段階的に覚えていくプログラムになっていると私は感じました。

 日本にも京都と千葉に施設がありますが、インドのデリー郊外にある施設で私は体験しました。
 最初は45分動かず、目を開けず、座り続けることの苦しさ・腹立たしさ(自分から希望して入ったのに!)、そして足の関節の痛みや痺れからくる不安(また痛めたらどうしよう・・・とか)、目を開けて周囲の人を観察したい欲望、そんな雑念と葛藤するのに精一杯で。
 それが変わってきたのは4日目ぐらいからだったかな。

 10日目が終わるころには、すっかり瞑想と睡眠の違いが分かる女?、になった手ごたえをつかみ、『瞑想ってこれだったのか~!』 とやや興奮状態で再びリシケシを目指します。

 この時、滅茶苦茶、前向きな精神状態になっていたのを覚えています。高揚感というか、すべての事に感激して、出来ない事は無い~!って確信を持ったような充足感に満ち満ちて。
 
 リシケシに着いて最初にしたのは、大人数のクラスで一緒に習うとついつい無理をしてしまったり、やってはいけないポーズをしてしまったりするので、個人的にヨガの先生を探して、かくかくしかじかと説明し、故障した個所に作用しないアサナと呼吸法のクラスをやってくれる先生を手配すること。
 仲良くしていた、ゲストハウスのオーナーに頼み、1時間1人200ルピー(400円)で友人と二人でレッスンを受けること3週間。

 だいたい、どんなポーズなら痛めたところを避けてヨガが出来るか、をインプットし、やってはいけないポーズを購入したヨガ辞典などでチェックして、

     ヨガを続けられる!!

と言う、手応えを得ました。 この、ヨガに対する前向きな感情、どうしても痛めた身体と仲良くしながらでも続けたい、と思った理由は、一体なんだろう、と思います。
 好きだから、と言ってしまえばそれまでですが、それだけじゃない何かが、ヨガにはあります。
 私のティーチャートレーニングの師匠の一人が言った
 
 『ヨガには良い意味での中毒性がある』

が一番その確信に近いと言えば近いのですが、一切の執着や何かに対する依存を断ち切る 『ヨガ』 に中毒性があるって面白いですよね。

 
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YOGAZARU@松庵文庫

ヨガと故障

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