前回に引き続き、どうして引き気味だったマントラを積極的に唱えるようになったのか?の分析、ですね

元々、全てのマントラがダメだった訳では無いんです。
インド リシケシのスレンダー・スリン師のレッスン前のオープニングマントラはサンスクリットでもなんかしっくりくる響きで、その後に英語で

『この意味は、ここに集い一緒に学び・喜び・食べる。共に生活をしている仲間に感謝し、分かち合いましょう』

という意味です、と説明がありました。(だいぶ昔の事なのでややうろ覚えですが)
この意味に心が共鳴するのか、マントラの響きにしてるのかは分かりませんが、これが『じ~ん』と身体に沁みるんです

でも、シヴァナンダ道場で、一斉に集まった瞑想の時間の前後のマントラ合唱会にはちょっとアレルギー起こしつつも、やはり聴いているうちに好きになるものとそうでないものがあることに気付きました。
私の場合、唱えていると気分が良くなるマントラは大体、意味の英訳が教本にあり、理解できるものでした。
反対に、ちょっと受け入れがたいな、と感じたものはひたすらヒンドゥーの神の名前を連呼したりする繰り返し系のもの。
今ではこれも 『あり』 になっているヨガザルですが、昔は激しく抵抗が・・・。

この頃は、全ての物事を頭で理解できないと受け入れられなかったのですね。
理屈や、原理を理解して、自分の頭の中の物差しで判断しないと受け入れられなかった。
見たまま、感じたままを、『判断する』というフィルターを通さずに『ただ観察して、受け入れる』この状態になってからマントラの好みは、その意味内容よりも音としての響きと旋律の心地よさ重視、に変わって行きました。
音そのものが持つパワーやエネルギーを、マインドでは無くハートで感じられるようになった、という事でしょうか。

その自分の変化の過程がイコール『どうしてマントラアレルギーが無くなったのか』の答えな訳ですが。
これは


『どう? 私ってこんなに身体柔らかくてこんな難しいアサナも出来ちゃって凄くない?!』

ってヨギーだったヨガザルが

『アサナは自分の身体の能力を試したり誇示するためのものではない。自分自身という神をいたわるためのものだ。』

と変化していった事と無関係ではないと思います。
肉体的にキツいアサナ(ポーズ)や、出来ないアサナを克服してやろうという気持ちより、出来ない自分を受け入れよう、という心の変化。出来ない自分を受け入れる、というのは出来ないままでいいや、という諦めとは違います。
闘いとして克服する事に取り組むのではなく、今は出来ないけどいつか出来るようになればいいなというスタンスで付き合う、という感じでしょうか

自分の中でヨガに対する思い、重要度が変化していくにつれ自然にマントラが 『微妙なもの』 から 『心地よいもの』 に変わって行き。
自転車漕ぎながらマントラ唱える42歳の不審(?)な人、が誕生した訳です。
あ、でも信号で止まっている時や近くを並走する人が居る時などは自粛してます
一応、その辺のバランス感覚は、健在です。

今日もここまで読んで頂いて、ありがとうございます

前回に引き続き、どうして引き気味だったマントラを積極的に唱えるようになったのか?の分析、ですね

元々、全てのマントラがダメだった訳では無いんです。
インド リシケシのスレンダー・スリン師のレッスン前のオープニングマントラはサンスクリットでもなんかしっくりくる響きで、その後に英語で

『この意味は、ここに集い一緒に集い・学び・喜び・食べる。共に生活をしている仲間に感謝し、分かち合いましょう』

という意味です、と説明がありました。(だいぶ昔の事なのでややうろ覚えですが
この意味に心が共鳴するのか、マントラの響きにしてるのかは分かりませんが、これが『じ~ん』と身体に沁みるんです

でも、シヴァナンダ道場で、一斉に集まった瞑想の時間の前後のマントラ合唱会にはちょっとアレルギー起こしつつも、やはり聴いているうちに好きになるものとそうでないものがあることに気付きました。
私の場合、唱えていると気分が良くなるマントラは大体、意味の英訳が教本にあり、理解できるものでした。
反対に、ちょっと受け入れがたいな、と感じたものはひたすらヒンドゥーの神の名前を連呼したりする繰り返し系のもの。
今ではこれも 『あり』 になっているヨガザルですが、昔は激しく抵抗が・・・。

この頃は、全ての物事を頭で理解できないと受け入れられなかったのですね。
理屈や、原理を理解して、自分の頭の中の物差しで判断しないと受け入れられなかった。
見たまま、感じたままを、『判断する』というフィルターを通さずに『ただ観察して、受け入れる』この状態になってからマントラの好みは、その意味内容よりも音としての響きと旋律の心地よさ重視、に変わって行きました。
音そのものが持つパワーやエネルギーを、マインドでは無くハートで感じられるようになった、という事でしょうか。

その自分の変化の過程がイコール『どうしてマントラアレルギーが無くなったのか』の答えな訳ですが。
これは

『どう? 私ってこんなに身体柔らかくてこんな難しいアサナも出来ちゃって凄くない?!』

ってヨギーだったヨガザルが

『アサナは自分の身体の能力を試したり誇示するためのものではない。自分自身という神をいたわるためのものだ。』

と変化していった事と無関係ではないと思います。
肉体的にキツいアサナ(ポーズ)や、出来ないアサナを克服してやろうという気持ちより、出来ない自分を受け入れよう、という心の変化。出来ない自分を受け入れる、というのは出来ないままでいいや、という諦めとは違います。
闘いとして克服する事に取り組むのではなく、今は出来ないけどいつか出来るようになればいいなというスタンスで付き合う、という感じでしょうか

自分の中でヨガに対する思い、重要度が変化していくにつれ自然にマントラが『微妙なもの』から『心地よいもの』に変わって行き。
自転車漕ぎながらマントラ唱える42歳の不審(?)な人、が誕生した訳です。
あ、でも信号で止まっている時や近くを並走する人が居る時などは自粛してます
一応、その辺のバランス感覚は、健在です。

今日もここまで読んで頂いて、ありがとうございます












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いよいよ明後日、ヨガ アラカルト!!

AUMのマントラ

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マントラ

マントラ私大好きだな。なんかすごく落ち着く。でもたしかにシバナンダのマントラやチャンティングは最初は驚くかも!!朝のチャンティング好きだったけどね。たまに音痴な人もいて笑えたよね~

名前: asuka [Edit] 2014-03-20 12:53

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