すみません。前回の最後に

『明日は何を書こうかな~』

なんて書いておきながら、更新せずに一週間経過。

飲んだら書くな、書くなら飲むな!で忘年会の飲酒の機会が多かったのと
竜宮城(実家)にちょっと帰りタイやヒラメの代わりに、猫と犬の大歓迎についほだされて帰りそびれてしまった...実家ネット環境ありません。家の中ケータイも部分圏外になります
でも、昼には車もほとんど通らない田舎道を犬と散歩して、夜はふにゃふにゃの猫が布団にもぐりこんで来ると、幸せで幸せで、つい帰りそびれてしまいます


何事も、執着してはいけない、とは分かっていてもアニマルズの可愛さには時間を忘れてしまい・・・。
修業が足りん

飲んだ日でも、実家でアニマルズ三昧でも、夜のカパルバティ5分とマハン ギアン ムドラ11分は必ずやります。
最近これをしないと、気持ちが落ち着かないので。

調子によって、呼吸法+瞑想にナディショーダナを組み合わせたり、PCM瞑想を追加したり。

呼吸法は朝も積極的に取り入れています。
とにかく、すぐに体温が上がる!
夏に朝から大汗かくのはしんどいけど、冬場は自分の呼吸だけでこんなに体温がうわーぁって上昇するのを感じると、

凄いぜ呼吸!
生きてるぜ自分!

って改めて呼吸の凄さ、身体の細胞の神秘に感動します。

最近はカパルバティの途中、どのくらい経過してから指先や足先からスッと体温が引いて行って、どの辺からお腹のあたりからぼわーんと暖かくなって、最後に一気に血液が体内にブワッて流れてほどけていくか、読めるようになってきていて、でも頭で経過をなぞりながらやっても意味が無いんじゃないのか???なんて疑問もぐるぐるしてきて、最初は50回でも息も絶え絶え、ようようだったカパルバティをそんなん考えながら5分間て良く持つようになったもんだ!、とか考える余裕がある。

ちょっと内容変えたほうが良いのかな?
考えながらやる呼吸法に意味はあるのか?
一度味わってしまった、カパルバティの後のシャバアサナで地面に溶けて行ったあの感覚を追い求めちゃってる気もするので、ちょっと内容変えたほうが良いのかも。

ほとんど今日のはつぶやき・独り言に近い

読んでくださった方、お付き合いくださってありがとうございます。


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 予告通り、本日は師匠Bについて。

うーん、これは難しい。
何故なら、ヨガの師匠では無くて、ビジネスの師匠だからヨガのテーマから外れていくかも、と言う恐れが。

とは言っても、ヨガビジネス、の師匠なんで全くヨガと関係ない訳では無いのですが。

師匠Yの10倍ぐらい目がデカい師匠B、一言で言うと、

突っ込みどころ満載

な方です 
同じ話を3回するとかっていうボケな感じではなく、イケイケGO!GO!感がありすぎて、ヨガっぽくないタイプで。
結構、えっ!それ言っちゃう!?、な感じの失言もちょいちょい、あります。
が、それでもその失言を補って余りある、なんつうか、実体験に基づいた実用的な教え、にはやっぱり頭が上がりません。

ヨガ+ビジネスって?と言う方の為に説明します。

まず、現在ヨガのインストラクターの養成講座の数、そしてそれを修了して実際にインストラクターとして教えている人の数、世の中にどれぐらい居ると思いますか?
私も、数は知りません! でも、ヨガ関係の雑誌・FB・ホームページ見るとインストラクター養成講座の多いこと!!
これじゃあ、修了しても数に限りのあるヨガスタジオや、フィットネスジムなどにイントラとして登録するのも一苦労、相当の倍率を潜り抜けないと登録してもクラスを持つチャンスなんて中々やってきそうにありません。

そんな中、ヨガの出来るところが町の歯医者の数並みにあっても良いんじゃないか?(歯医者って表現は私が勝手に解釈してます)、という考えで小さなとこからコツコツと、草の根的にヨガクラスを開催できる場所を増やして行こうぜ!でその手法は…!、と言うのが師匠Bの講座のコンセプトです。

もともと、私のヨガ友にも『ライセンスは取ったけど教えてないや~』って人が多くて、なんでだろう?ってずっと思ってました。
教えたくてライセンス取っても教える場所がない、もしくは教える現場に入っていく行き方が分からない、そんな人が多い現状。
私が受講したティーチャートレーニングを主催したヨガジェネレーションでは、とにかくライセンス取ってそれを実際に使う卒業生に仕上げたい!、という意気込みが主催者側から感じられました。

まあ、そんな鼻息荒い感が、ヨガっぽい世界観にどっぷり浸りたい、と言う人には向かないのかもしれませんが、インストラクターもそれで生計を立てて行こうとする以上は、食べていけるようになるだけの収入を得る手段も知らなきゃいけない訳ですから。

ヨガには『カルマヨガ』と言う考え方があって、無償の行為で還元する、教えを受けたら今度は自分がボランティアスタッフになって生徒として学びに来た人のサポートに尽くす、という感じでインドの道場なんかでは教えるスタッフが全員ボランティア、と言うところが多いんです。
もちろん、永久にボランティアをする訳では無いですが、そういうところでイントラの資格を取った友人は、中々仕事としてヨガを教える所に入って行くきっかけがつかめず、結局修了しても教える自信を持てないまま時間が経ってしまった、と言う人が多かった。

カルマヨガと言う考え方もヨガを極めていく上で、とても大事ではあるのですが、卒業生をそういう有資格休眠者にしたくない、と言う思いがヒシヒシと伝わってくるのがビジネス講座でした。
思いが熱過ぎて、クールなTOKYO女子ドン引き(師匠は関西人)、な場面も多々ありましたが却ってそのショックが良かったのか絶対その仕事辞める訳ないでしょ!、と言うぐらい堅い職業についていた仲間が修了後に『本格的にヨガを教えていきたくなり、仕事を辞めました』と! それも、一人や二人じゃない!!

師匠Bについて語るには、その人の人格そのものを語るより、その人の教えによって周囲の人にどういう変化が起こったか、を説明した方が理解してもらいやすいと思いました。
それぐらい影響力は大きい。

その熱い(暑苦しい?)情熱故か、忙しすぎて表情にイライラが出ているのか、誕生日に主催するスタジオのスタッフから

『イライラしない術』

とかってタイトルの本をプレゼントされてました。
愛されてますね~

ヨガゼネレーション
http://www.yoga-gene.com/

オハナスマイル
http://www.ohanasmile.jp/

明日は何を書こうかな~♪



 先日は『ヨガと故障』についてで、今度は『ヨガと師匠』についてって、テーマで韻を踏んでるつもりか!?と言われそうですが...

昨日はティーチャートレーニングの同期との忘年会、二人のお師匠も忙しい中はるばるやってきてくれましたので、師匠について2回に渡って書こうかと


1人はヨガの師匠。もう1人はヨガを仕事として生活していくには、というビジネステーマの知恵を授けてくれた師匠。
どちらか一方が欠けていても、今回のティーチャートレーニングの同期の結束は生まれなかった、と思います。

26人の年齢も職業も生活環境も違う同期(なぜか全員女性)が、お互いの良い所を認め合い、助け合ったり、教えたり教えられたりしながら『あるがまま』の自分を受け入れて行く過程...本当に感動的でした。

私は中学から大学までオール女子校だった上に大学4年間も合宿生活の体育会経験者なので、女子の行動サンプルにはかなりの引き出しがあるほうだと自負していますし、女子が集団になった時の化学反応のパターンも熟知しているつもりでしたが、今回のは私が今までに経験したどのパターンとも違いました。

そんな中で、これらの26人をまとめたり、どやしたり、涙を流させたり、笑わせたり、心をパッカーンと開かせたり、してくれたのが師匠男性3名+女性1名の講師陣だったのですが、『講師も大変だったろうな^_^;』と思います。

その中でも、授業のコマ数も多く中心になっていたのが師匠Bと師匠Yでした。

師匠B-ビジネス担当   師匠Y-ヨガ担当

個性は全く違う二人ですが、共通しているのは、『ヨガで生計を立てて行こうとしている後進を何とかして育てたい!』という情熱。
伝えたい、と言う気持ちが溢れていて、受け手の生徒たちも必死でそれを吸収しようと、たぶん、毎回必死でした。
悲壮感は無かったですけど...

何故に悲壮感が無かったかというと、師匠Yはある生徒の質問の『ヨガのアサナの名前ってサンスクリットで覚えるべきですか?英語で覚えるべきですか?』という質問に

『アサナの名前?そんなもん覚えなくていい! だったら他に覚えたほうが良いこと、知ってたほうが良いことがたっくさんあるから!』

と言い切ってしまう人なんで
これには、驚いた人、苦笑いの人、やったー覚えなくて良いんだーと喜んだ人、まあそうは言ってもねーとクールな人、十人十色の反応でしたが、もちろん師匠本人がそんなことも知らずに教えている訳では無いのは皆も合点承知の上でなので、ただ丸暗記するようなアホな事をする人は居ませんでしたが、一応覚える努力と名前を確認するという行為は皆それぞれしているようでした。

受験の単語を覚えるようにアサナの名前なんか覚えようとするぐらいなら、もっと自分の心や体を感じて、『自と他』の区別が無くなるくらい全てをありのままに見つめなさい、その方がよっぽど大切、ということが伝えたかったんだと思います。

『ヨガの哲学』のエッセンスをすんなりと生徒に体得させたヨガ師匠、MASAさんと言いますが、只者ではありません。
背も高くて、スタイルも良いのでフォロワーが多いのかなー、などと最初は師匠に対して思ったりしたブラックな生徒でしたが、違いました。
伝えたい、と言う情熱が先走って同じ話を3回ぐらいすることもありましたが、そんなことはどーでもいーのだ、と私も最後はバカボンパパくらいには、悟りに近づけた気がしています。

この師匠、芸能人級のオーラがあるようで飲み会の後などに駅で弟子達が解散するのが名残惜しくてたむろしていると

『芸能人と追っかけファン』

に見えるらしく、知らないオバサンやオジサンが振り返って二度見してたり、カメラを探しているのかカバンに手を突っ込んでごそごそしていたりするのが笑えます。
誰だと思ってるんだろう?
韓流スターか? お笑い芸人か? ミュージシャンか?
この師匠、全体の雰囲気は置いといて、目は渥美清か五木ひろし、な感じです。

明日は師匠Yの10倍くらい目がデカい、師匠Bについてです~!






 先ほど夕飯に

豆腐とチンゲン菜と白菜の炒め物
カブと人参とごぼうと鶏胸肉のホワイトシチュー

 を作って食べたんですがなんとなく、白い味付けのもの、が食べたい気分だったのか炒め物もあっさりごま油と塩味だけで、シチューもあっさりスープ風のシチューにしました。あ、ここまで読んで『なんだ料理ネタブログか』と思わずにお付き合いください

 外食の時は味の濃いものをガッツリ行きたくなるんですが、自分で作るときは薄味なものを口が所望します。

 恥ずかしい話、自宅で一人食事するときはスマホ片手フェイスブックチェックしながら食事するのが当たり前になっていて  
テレビは持っていないので、フェイスブックでニュースフィード見ながら、そうかそうか~皆色々活動してるわい、と感心したりしつつ、いつものように食事。

 で、気づいたんです突然! TO・TSU・ZE・N!! ←なんかこう書くと、シブガキ隊の曲のタイトルみたい

私が今咀嚼しているものは、チンゲン菜か白菜か!? どっちなんだ!!

 流石に、豆腐とチンゲン菜、もしくは豆腐と白菜の違いぐらいは明白過ぎる歯ざわりなので、いわゆる『ながら食い』でも分かりますが、チンゲン菜と白菜の味、ながら食いだと分かりません!!

 そんなくだらないことに突然気付いたと言って騒いでいるのかと、突っ込まれそうですが、そうなんです。

 ただちにスマホを置き、姿勢を正して白菜を口に。ゆっくり噛んで、飲み込んで、次はチンゲン菜を。
うん、違う味だね。歯触りも、同じシャキシャキ、シャリシャリ系でも、ちょっと違うよね。スマホをいじりながら食べていたら、この微妙な違いが曖昧なままになってしまうのね。

 食事中の行為の組み合わせ、私はいくつまで同時進行平気か考えてみた。

会話+食事(聞く・話す・食べる)→普通に出来るけど、話の内容にもよるな。食べた気がしなくなる会話ってあるし。

・会話+食事+BGM付(聞く×2・話す・食べる)→会話の込み入り具合とBGMのにもよる。

読書+食事+BGM付(聞く・見る・食べる)→読む・食べる、だけでも色々おろそかになるのに、聞くまで入ると・・・無理。

テレビ+食事(同じ聞く・見る・食べるのようで、読書とテレビは似て非なるもの)→一番楽だけど、テレビも味も後で思い出せなかったりする。

音楽+食事 → これが一番味わうことの感覚を損ねず、食べることに取り組める気がする。目で見て、鼻で嗅いで、舌で味わって、歯ざわり歯ごたえなんかの食感も楽しんで、そのうえ呼吸もして、手も動かして口に運んで、って凄い色んなことを同時進行していること!これを一番妨げないのは、人との会話か、音楽を聴くこと、なのではないかと。

読書もしくはスマホ+食事→やっぱり、目線が食べ物からそれ、視覚からの情報に気を取られ味わいが半減する!

 と、食べること一つとっても、沢山の知覚を働かせているんだな、と改めて実感した年の瀬。
 年の瀬に、夕飯作って、こんなこと考えながら食べていられる私って、ただの暇人なのか、ヨギーなのか・・・
 でも、出所が明白な材料で自分で作ったご飯を食べられる幸せ・・・今年もあと少し、生きてて食べていることに感謝しなくてはいけないな、としみじみ噛みしめて一日終了。

 今日は西荻窪の松庵文庫さんでヨガクラスの日でした。

 私が都内でクラスを開催できる場所探しをしていた時、『ここでヨガクラスをしたい!』 と思った一番の理由は建物の佇まいが静寂で凛とした気が流れているのを感じたからでした。
 穏やかだけど、シャキッとした空気感もあり、『優しいけど厳しい顔もある、昭和のおばあちゃん』そんな建物でした。

 古き良き時代の建物の味わいに、北欧モダンな内装のカフェが一階。

 ヨガの為に借りているスペースは二階ですが、私が子供の頃の祖母の部屋にそっくり(今はもう無い)で、初めて見たときは感激で言葉が出ませんでした!

 
 そんな空間で今、自分がヨガを教えている。

 よくぞこの場所を見つけたなあ、と思います。 窓は昔の磨りガラスで、外が見えないので気が散らず、それでいて
午後の柔らかい陽射しが部屋に差し込んで、ここでサンサルテーション(太陽礼拝のシークエンス)をすると、本当に気持ちがいい!!
 
 ただ、日焼けを気にする生徒さんだとまぶしいぐらいの陽射しを嫌うのかな?と不安でしたが、本日の生徒さんは

 『明るい部屋でヨガをするの初めてなので、気持ちが良いです。』

と言ってくださって、嬉しかったです。 やはり、インドでヨガをしている時のように、

木々のざわめきや葉擦れの音
朝日や西日の暖かさ
季節の風に乗って漂ってくる匂い
時には窓からサルがのぞいていたり
野菜売りの声が聞こえてきたり(日本なら豆腐屋さんのラッパ的な音)

こういった、自然のエレメントや時間の流れを五感で感じながら、生徒さんにヨガをしてほしい。

 そんな思いが叶う場所です。

 クラスの内容は、一つ一つのポーズの持つ効き目や目的を解説しながら、
関節の向きや角度などに気を付けて丁寧にとっていくようにしました。

 非日常的な場所や、気持ちの良い空間でやるヨガは、じんわりと身体だけでなく心にも効きますね。

 週末はゆるゆるに身体も心もほぐしましょう♪

 2日ぶりに更新です。

 頸椎椎間板を痛めてドクターストップかかったのにどうして再びヨガをするようになったか、ですね。

 気を付けて、気を付けて生活をして、一年後ぐらいには痺れの症状は無くなったものの、まだまだ
無理をしたら再び痛くするぞ!と自戒の念を持ってはいるものの、なんか身体を動かしたくてしょうがない・・・。

 でも、再発したら怖いし…と悶々としつつも、首回りを使わないヨガならやっても良いかな?とか、でも身体って結局全部繋がってるしな、とか、悩んでいるときに思い出したのが 『呼吸法と瞑想』 でした。

 身体を動かす、とは違うけど健康な時から深く掘り下げたいとは思っても、ついつい派手なアサナのクラスに心を奪われがちで。
 故障しなかったら、こっちのほうはずっとおろそかになっていただろう、と今では思います。
 そこで思い出したのが、インドのリシケシにいた時、『睡眠とシャバアサナの違いが分かんない!』 と師に質問しまくっていた私に師匠や周りの外国人の友人が薦めてくれていた、

    ヴィパッサナ瞑想

の事でした。
 知らない方の為に簡単に説明すると、ミャンマーに本拠地を持つ仏陀の教えの瞑想法を伝道する団体ですが、仏陀由来だけど完全に宗教性はゼロ。世界各地に宿泊施設を持った瞑想道場を持ち、完全に参加者の寄付だけで成り立っていて世界中から色々な宗教・国籍の人々が参加可能。10日間、完全沈黙、他の参加者とのアイコンタクトすら禁じられて、朝から晩まで瞑想瞑想、です。食事は完全ベジの、刺激の少ない材料を使ったものが提供されます。
 瞑想の手法は、内観、とにかく自分の感覚を研ぎ澄まし、ひたすら自分の身体の感覚に気付くこと、を段階的に覚えていくプログラムになっていると私は感じました。

 日本にも京都と千葉に施設がありますが、インドのデリー郊外にある施設で私は体験しました。
 最初は45分動かず、目を開けず、座り続けることの苦しさ・腹立たしさ(自分から希望して入ったのに!)、そして足の関節の痛みや痺れからくる不安(また痛めたらどうしよう・・・とか)、目を開けて周囲の人を観察したい欲望、そんな雑念と葛藤するのに精一杯で。
 それが変わってきたのは4日目ぐらいからだったかな。

 10日目が終わるころには、すっかり瞑想と睡眠の違いが分かる女?、になった手ごたえをつかみ、『瞑想ってこれだったのか~!』 とやや興奮状態で再びリシケシを目指します。

 この時、滅茶苦茶、前向きな精神状態になっていたのを覚えています。高揚感というか、すべての事に感激して、出来ない事は無い~!って確信を持ったような充足感に満ち満ちて。
 
 リシケシに着いて最初にしたのは、大人数のクラスで一緒に習うとついつい無理をしてしまったり、やってはいけないポーズをしてしまったりするので、個人的にヨガの先生を探して、かくかくしかじかと説明し、故障した個所に作用しないアサナと呼吸法のクラスをやってくれる先生を手配すること。
 仲良くしていた、ゲストハウスのオーナーに頼み、1時間1人200ルピー(400円)で友人と二人でレッスンを受けること3週間。

 だいたい、どんなポーズなら痛めたところを避けてヨガが出来るか、をインプットし、やってはいけないポーズを購入したヨガ辞典などでチェックして、

     ヨガを続けられる!!

と言う、手応えを得ました。 この、ヨガに対する前向きな感情、どうしても痛めた身体と仲良くしながらでも続けたい、と思った理由は、一体なんだろう、と思います。
 好きだから、と言ってしまえばそれまでですが、それだけじゃない何かが、ヨガにはあります。
 私のティーチャートレーニングの師匠の一人が言った
 
 『ヨガには良い意味での中毒性がある』

が一番その確信に近いと言えば近いのですが、一切の執着や何かに対する依存を断ち切る 『ヨガ』 に中毒性があるって面白いですよね。

 

 第一回目のブログに、調子コイてツケが回って故障した話の詳細は次回!、と書いたのに

 昨日は別のテーマで書いてしまったので

 今日は予告通り、ヨガと故障について

 アメリカでは、YOGA INJURY、と言うと「ヨガでやっちゃった!」、痛くしちゃった人の専門外来もあるんだとか。
実際、整形外科に「ヨガで痛めました」と言ってくる人が、日本より米国は多いらしい。

 私が痛めたのは......

   頸椎

 です。たぶん女性が一番痛めやすいのが、ここ。

 調子こいたツケ、と言うのは出来るようになったばかりのヘッドスタンディングを練習しすぎたせい?か、ある日
突然、左腕が痺れるようになって、自覚しているうちにみるみるカバンもつかめない状態に...。

 こりゃヤバイ!と病院でレントゲンとMRI撮ったんですが、頸椎2と3の間がだいぶ詰まっていて、神経を圧迫してたせいで生じてた症状

 ただ、ヘッドスタンディングはこの結果を引き起こしたトリガーで、その前に火薬を詰めるような長年の首に負担をかける習慣やむち打ちの経験など無いですか?と問われて思い出したのが

 私、年間720時間は飛行機の座席で首ガクッッて落として寝てる!

という衝撃の事実。添乗の仕事で、10日間のツアーを2ヶ月で5本出ると1年で30本、ヨーロッパ片道12時間往復で24時間、乗り継ぎあるツアーや南米行ったりしたら気が狂うほど飛行機乗るんで、24時間×30本=720時間たぶんそれ以上…
エアー枕使わず(首を後ろに倒して寝ると、顎が緩んで口が空くので喉を痛める)、顎が胸に付くぐらい首を下に向けて寝続けていた、これがいわば鉄砲に込めた弾。

 ただでさえおかしなことになっていた首を決定的に悪くする引き金を引いたのが、首の筋力の無い所に不適切なアライメントでするヘッドスタンディング、だったのです。

 もちろん、医者から 『ヨガなんて絶対にダメ』 と止められ、自分でも怖くなってしばらくヨガからは離れました。

 その間、飛行機に乗ったら即、交通事故でむち打ちになった人がつけるような首ホルダーをして寝る前から用心。
 かなり見た目がヤバい器具だったので、飛行機のクルーの視線もお客様の視線もあったけど、そんなことは気にしてられなかったです。

  恥ずかしさ < 痺れで腕が利かなくなる恐怖 

 アイソメトリック運動なども積極的にして、首の筋肉を優しく鍛えつつ、首を伸ばし椎間板の間を広げるような動作を心がける、そして首を冷やさない、うつむいて読書をしない、鍼灸院に通う、といったようなことを心がけた結果1年後には痺れも収まり、カバンが持てないと言うような事は無くなったものの、まだ怖くてヨガは出来ませんでした。

 どうしてヨガを再びするようになったかは、また明日に

 つ・づ・く

西荻窪松庵文庫さんで、ヨガTT(ティーチャートレーニングの略)同期とシェア会。

シェア会って何なのかって......

自主勉強会です!

TTが終わっても、まだまだインプットしたいことは限りなくある!!でも、色々な先生のWS片っ端から受けてたらがいくらあってっもたりまへん・・・

って事で始めた、WSのシェア勉強会。

有名なあの先生のあの講座!!、を受けたら、自分の復習も兼ねてそれを皆に報告する

という会です

良いことは

①学んだことを人に説明することで、自分の中で落とし込みが出来る

②時間の都合や金銭的に都合がつかなかった講座の内容の知識を得ることが出来る

③勉強してる仲間と居ることで、まだまだ学ぶぞ!という意欲が自然に維持される

とまあ、良いことづくめのようでデメリットもある訳で・・・

①伝聞での知識の伝達な訳で、経由した人の感性や記憶で師匠の教えから多少ずれてくることもある

これは、大きいですよね。やはり直伝には直伝の良さがあります。師匠の持つエネルギーとかパワーってヤツは、第三者を経由する時点で違ってきますよね。

でもまあ、そもそも何千年もにわたって口伝で伝えられてきたヨガスートラが、口承口伝から 〝文字として経典に残され〟始めたのが今から1100年ほど前からだそうなので、水が器によって形を変えるように、伝える人に寄り添ってその知識が形を変えるのはアリなのかもね~と思う一方で、

やっぱりその道の先達の持つ確固たる理論は説得力があるよな~!

とも思います。

だから、結局シェア会はあくまでも知識に払うお金を出し渋ってる訳ではなくて

『どんな内容か信頼できる仲間の意見を聞いて、自分もそのWSを受けるかどうかを決める』

判断材料みたいなスタンスで皆シェアし合ってます。

ヨガの流派も、スタイルも取り組むスタンスも、昔と違って際限なく増殖可能、な状況になっている今、WSの数もハンパじゃないので、

仲間内での 『どうだった?』 という情報交換は欠かせません。

仲間内での評価の高い講座には、鎖が繋がるようにシェア会の後 『やっぱり先生直々で教わりたい!』 と

皆オリジナル講師のWSのもとに走る訳です。シェア会の伝達者、責任重大かも・・・!?

話しは変わって、勉強会に使わせていただいた西荻窪松庵文庫さん

とっても素敵な古民家カフェで、ランチの味良し、静かで落ち着いた空間良し、オーナーさんも親切で素敵な女性で

居るだけで浄化されそうな空間です

皆さんもぜひ一度、松庵文庫さん訪れてみてはいかがですか?
http://shouanbunko.com/news

ここの2階で YOGAZARU 人数限定ヨガクラスを開催します。


勉強会の後は、学びだけじゃなく、仕事もね!って事で、ヨガクラス告知のフライヤー配り。


怪しい宗教の人とかに見えるのか、避けられる避けられる・・・


これぐらいじゃ凹まないけどねー

続きを読む

 初めまして、YOGA ZARUとして、中央線沿線に出没していますERI☆BOOです。
つのだ☆ひろ的と言うか、高木ブー的なと言うか、なんでこんなニックネームなのか、からスタートです。

saru5.jpg 
 簡単に言えば、下の名前が『エリ』な訳ですが、子供のころから下の名前で呼ばれるよりも苗字で呼ばれることがほとんどでした。
 海外に行くとERIという綴りは『ぅえ~りぃぃ』な感じで発音されまして、これもなんだかな、で。
 社会人になってから出会った友人が何故か『っえっりぶぅーー!』と元気な感じで呼んでくれまして、なんかこれが温かくて良い響きだな、と気に入ったんですね。
 同じ音でも、そこに込められた気持ちが優しいと響きが違ってくるんだなぁ、と感じ入りまして。
それ以来、人の名前を呼びかけるときは、できるだけ優しい気持ちで、元気になーれ、と念を入れて?呼びかけるようにしています。

 
 ヨガを自分の意志でやるようになったきっかけは、プロフィールにも書いてありますが、英国留学中のホストマザーの影響ですが、幼少時に習っていたモダンバレエの先生が今思えば随分ヨガ的な事をレッスンに取り入れていたんだなぁ、と最近気付いたのです。
 モダンバレエということもあって、発表会ですらいわゆるチュチュとかフリフリ、ヒラヒラした衣装とは無縁でランニングシャツに紺のブルマー姿で踊りのタイトルも『知覚の旅人』とかって…。
 今でこそ、それを幼児に躍らせるクールさを自覚できますが、当時は『こんなの……ヤダ!』って子供心に思ってまして。タイトルも『なんだよ近くの旅人ってさ!』とか理解してなかった記憶がはっきりとあり…。
 この『知覚の旅人』の内容はまた別の機会に詳しく語るとして、こんなタイトルの踊りを創作する先生な訳ですから普段のレッスンも、バレエっぽくないというかヨガのアサナっぽかったと言いますか。
 ブリッジとレッスンでは呼んでいたポーズはいわゆるチャクラアサナ(車輪のポーズ)だったり(これで足を上げて歩いてたりしてたんですな、若いって凄っ!)、だるまさんと呼んでたポーズはムーラバンダ(足裏を合わせた蓮華座のような座位)の姿勢でゴロンゴロン転がっては手を使わずに起き上がる、とか......クラシックバレエとはえらい違い。
 でも、この時の貯金のせいか、30歳近くになってヨガを始めてもすんなり入っていけたんですよね。後屈のポーズとか恐怖心を感じる人も中には居る、ということがその当時は『えーっ!そうなんだ!』という感じでした。
 
 こういった自分でも忘れていたような幼少時の記憶がヨガを真剣にやるようになってから、掘り起こされるように次々に思い出される、という体験をしまして。おいおいそういった、ヨガの効能?記憶の整理効果?みたいなものに関しても、触れていきたいと思ってます。

 まあこの後、幼少時の貯金の柔軟性で調子こいたツケはしっかり『故障』という形で回ってくるのですが、それはまた次回に

 これから、徒然なるままに、ヨガと向き合い日常で感じたことや、自分の中の気付き、などを綴っていきますので、読んでくださった方、これからもよろしくお願いします。

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